郊外のトゥルッリ林立するとんがり屋根モンテ地区トゥルッリの教会

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アルベロベッロの 歴史
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  「おとぎの国」を思わせる可愛い町並。 でも、その歴史は決して穏やかなものではありませんでした。 アルベロベッロの住民達は、封建制の下、約3世紀に亘り 自由を奪われていました。小路に軒を連ねたトゥルッリ、 このトゥルッリこそ、住民達にとっては 決して遠くない過去の、貧困と束縛の記憶なのです。
<3分スピードヒストリー>
  15世紀後半、アルベロベッロの領主となった 伯爵一族アクアヴィーヴァ家は土地開拓の為に周囲の農民達を この地に移住させました。
  当初農民達は、木の切り株や藁等を用いた貧しい 小屋を住居としていましたが、耐久性の有る家作りを望んでいました。 16世紀半ば、ようやく住民達の願いが受け入れられ、この土地の 地下地層から採れる「石」を使った家作りが許可されました。 しかし、家の建築に際し伯爵は、「モルタルなどの接着材料を使わない事」 と言う条件を与えました。
  この時代の国王は、「Prammatica de Baronibus」と 呼ばれる法令で、国王の領地内に、許可なく建築物を建てたり、 新しい町を興す事を禁じていました。違反した者には、罰金や制裁が与えられ、 更に建築物には税金が課されます。伯爵は、王の目を盗んで町を興すための 「秘策」として、「壊しやすい建築物」を建てさせたのです。 事実、トゥルッリは短時間で取り壊す事が可能でした。
悪賢い伯爵の我儘な命令が、このトゥルッリと呼ばれる特異な形の 建築物を生み出す結果となりました。
  アクアヴィーヴァ一族の統制は、住民達にとっては 厳しい独裁制でした。農民達は一切の権利を持たない「農奴」として 扱われました。伯爵は、住民達に重税を課す一方で、国王の課税から逃れる為、 王の視察団の来訪を察知すると、農民達に家屋の倒壊を命じたのです。 農民達は、一晩のうちに家を壊し、町から遠ざかりました。 そして、視察団が去ると、再びこの地に戻り、家を再建すると言う 不安定な生活を強いられていました。
  そんな領主に対し住民達が蜂起したのは1797年の事です。 7人の町の代表者が時の国王に現状を直訴し、 王は問題の解決を約束してくれました。 同年5月27日、国王の勅令により、アルベロベッロは王の直轄領地となり、 およそ3世紀に亘り12人の伯爵に受け継がれてきたアクアヴィーヴァ伯爵一族の 歴史に幕が下りました。
  自由の象徴として初めて「接着材料」を用いて作られたのが casa d’Amore(カーサダモーレ)、現在ツーリストインフォメーションとして 利用されている建物です。

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